8月1日のぱたぱた日記

東京オリンピックが始まってしまいました。コロナ禍の真っ只中、国を挙げて巨額を投じる先は医療や福祉、生活支援の方だと思うのですが。

そして今更ながらですが、森前五輪委員会長の女性差別発言に怒っていたら、障がい者への暴力や、ホロコーストを笑いにした人材等が次々と露見して、人の尊厳を踏みにじる人々を集めた五輪組織委員会への不信感と怒りは募るばかりです。それでもオリンピックは実施され、TVやラジオをつければスポーツならではの感動や手に汗握るシーンに遭遇します。一方で、コロナ罹患者・医療従事者の苦境は報道がグンと減ってしまいましたが、7月下旬の東京都の感染者数は1日に3,000人を超えて過去最高を更新しています。まだ五輪を優先し続けるのでしょうか。

また、掲げられていた「復興五輪」って何だったの?と、私の中では何か焦げ付いたように残り続けています。「被災地の方々を勇気づける」など、震災や原発事故の被災者を後押しするから賛同せよ、と、言わんばかりに冠せられた「復興」でした。

復興と言うからには、被災した人々が目指したことと現在の「ここまで来た」を、表現し合うような機会がほしかった。一方通行の「勇気づける」ではなく。…というのは望むべくもなかったか、あの組織には、とも思いますが。

被災当事の、突然、人・モノ・繋がりが絶たれて経済や生活基盤が損なわれる中、「絆」の美名のもと家父長制が強められた感じや、原発による見えない隠された被害への不安などを思い起こします。

カウンセリングの現場でも、根強いジェンダー規範や社会通念にどうやって立ち向かうか、ともに考えながら女性たちの支援をしてきたのだったと思います。そして今、まだまだその「復興」の途上です。

以前と同じようになることを目指すのでなく、以前にはないジェンダー平等を目指しての「復興」という言葉を、逆に、心に刻むことになりました。「復興五輪」への苛立ちによってもたらされたことでした。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。