7月1日のぱたぱた日記
最初は得体の知れなさに不安を感じ、緊張した日常を送っていた記憶がある。長くても1年くらい?と考えていたし、終息すれば元の生活に戻ると疑っていなかった。一年が過ぎた頃から、元通りの生活にはもう戻らないのだろうと漠然と感じている。私たちにとってコロナとはどんな経験なのか。そこで見えたものをここでは報告しておきたい。
「私が来るのは迷惑ではないですか」、突然クライエントに問われて驚いた。医療従事者の自分にかかわるだけで感染の不安を持つ人がいる。相手がどう感じているのかいつも配慮せざるを得ず、業務の緊張も含めてもう限界です、とのことだった。また別のクライエントは、普段は家にいない夫がずっと居て、子どもをみながら夫に三食作るのはもう限界。子どもにキツく当たってしまい、子どもがグズると夫が怒鳴って、家は地獄のようになっていると訴える。介護施設にいる母に長く会えなくて、そのまま母親は亡くなったが、釈然としない気持ちが日々大きくなる。仕方なかったと自分に言い聞かせても罪悪感が拭えない、という。
また、子どもが県外から帰省したことが職場に知られて、上司からはしばらく休むよう言われたが、パートなので生活にかかわると訴える方もいた。コロナをめぐる状況下、女性たちは実に様々なストレスを抱えていた。感染の不安とは別に、人とのかかわりが絶たれることや、反対に長時間一緒にいなければならないことなど、女性を取りまく身近な人間関係の問題点が、コロナによって改めてあぶりだされたことが伺えた。
特別定額給付金の受け取りをめぐっても、様々な相談があった。DV被害者で家を出ている人は、実はごくわずかである。現在もDV関係に留まる人にとって給付金支給は、全く配慮されたものではなかったと感じている。
夫に給付金を渡して欲しいと言うと、機嫌を損ねるのがわかっているので、怖くて言い出せない。どうしたらいいのかという相談があった。生活がひっ迫するなかで、何とか給付金を取り戻そうとした女性が、怒鳴られたり殴られたりしたことは、容易に想像がつく。
また、ギャンブルやアルコールにこのお金が消えていくのを、悔しい思いで見ていた人も大勢いるだろう。また別の相談者は、夫は絶対給付金を取り込むだろうと思っていたのに渡してくれてびっくりした。でもまるで自分が恵んでやっているかのような態度で、ありがたがっている自分がみじめで嫌になったと話す。
このような思いをする女性たちがたくさんいることに、なぜ為政者は思い至らないのだろうか。DVは、命の危険にさらされる暴力だけではない。夫婦の力関係の不均衡のなか、世帯単位の施策は使いづらく、家の中で力を持たない人をより一層無力にする。虐待を受けている子どもたちの給付金も、本人には届かないだろう。
統計に表れるような、DVや児童虐待、経済的な困窮や孤独、女性の自死の増加は、すぐにカウンセリングの場に持ち込まれるわけではない。何ができるだろう、何ならできるだろうかと考えて、昨年の秋から、かかわるシェルターのSNS相談と、ルームでの居場所カフェを始めた。気軽に立ち寄って、安心して話ができる場を作りたいと思った。にぎやかな場は、面接だけでは決して見えない、女性たちの別の顔が垣間見えてとても面白い。コロナの状況に背中を押されて踏み出した、ルームの新たな一歩である。
内閣府が今年4月に発表した「コロナ下の女性への影響と課題に関する研究会報告書〜誰一人取り残さないポストコロナの社会へ」を、是非ご一読いただきたい。この報告書は、コロナ下の女性の実態が統計に基づき細かく示されており、問題解決に向けた提言がまとめられている。そこでは、シングルマザーや非正規雇用、単身女性の困難や、DVや性暴力についても詳しく言及され、日本社会の根強いジェンダー規範やジェンダー格差が放置されてきたと指摘する。
具体的には(1)ジェンダー統計・分析の重要性(2)ジェンダー平等・男女共同参画への取組(3)意思決定への女性の参(4)制度・慣行の見直しを挙げ、ジェンダー平等の推進を強く政府に求めるものとなっている。
遅々としてジェンダー平等が進まない社会で、傷つき迷い翻弄される女性たちに、私たちは日々出会っている。しかしこれまで、女性たちの声は届かず、なかなか全体の変化につながらなかった。危機をチャンスに変えることはできるだろうか。ポストコロナの社会がジェンダー平等へと動き出すことに期待したい。
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニスト
カウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。