今日の気づき

我が家には現在大小合わせて観葉植物が8つある。日常はリビングの陽の当たる窓際に一列に並べレースのカーテン越しに日光浴をさせている。

春には土を入れ替え、夏には毎日のようにせっせと水やりをする。朝は「おはよう」夜は「お休み」と挨拶もする。ちょっとした家族のようだ。

そんな観葉植物を観察していると、生きるために太陽の光の方へと枝葉を向けていく様子が伺える。私は家のインテリアとしても観葉植物を置いているので、枝葉のバランスが偏よらないように何日かに一度くるっと回転させる。すると植物は何の文句も言わず時間とともにまた光の方向に傾いていく。

そんな観葉植物を見ていると私たち人間も同様に、生き延びるために自分が置かれた環境で自分なりに工夫して生きているよね、とつくづく感じる。虐待やDVもそう。家という囲われた状況で、暴力が起こっても何とかそこで生き延びようとする。そのためには感情も麻痺させるし、記憶も飛ばす。より敏感になって何かが起きる前に察知し、回避できるように神経や感覚を張り巡らせる。それは生き延びるという生物の基本が私たちに備わっているからだろう。そうして私たちは知らない間に身体も神経も心も組織化されていくのだろう。

また社会にジェンダーによる差別が蔓延する中で、それさえも私たちは心身ともに組織化されてしまいそうになる。生物の生命力というのは本当にすごい。

シモーヌ・ド・ボーヴォワールのあの名言「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」の本質は、そこにあるのかもしれないなどと考え、勝手に一人頷いている。

観葉植物もボーヴォワールも似ているな、などと考えながら今日も水やりをする。

 

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。