フェミニストカウンセリングは新しい価値を生み出しているか

 フェミニストカウンセリングと出会って、人生物語が一変した私。社会の中でも、学生運動でも部落解放運動のなかでも、私を惨めにさせる言葉は日常だった。顔はにこにこ笑いながらも宙ぶらりんで、いつまでも自分を好きにはなれなかった。「解放」を求めているのにかんじがらめだった。自分のことが言葉にできなかった。

 30才を過ぎてフェミニズム心理学に出会い、正体不明の揺れる心が次々と言語になりはじめた。傷ついたこと、傷つけたことが見えてきた。友の「摂食障害やねん」という告白、友人が持ち帰ってきた北京会議の衝撃、沖縄での少女レイプ事件糾弾の闘い、ドメスティックバイオレンス被害者への支援、性暴力被害者支援・・・。私は、行きつ戻りつではあるけれども、多くの友や仲間に支えられて「福岡ともみ」でいいんだと思えるようになってきた。

 でも今、フェミニストカウンセリング実践は多様性/インクルージョンを実践に織り込めているか。新しい価値を発信しているのだろうか。第2派フェミニズムの価値観のままでとどまってはいないか。

 「複合差別」

 私は複合差別について、執念深く異議申し立てを続けている。なかなか、まとめられないのだけれど。

 「複合差別」の定義は藤岡美恵子さん(反差別国際運動)のまとめた「マイノリティ女性が世界を変える」という本にある「絡み合うアイディンティティを認める・『複合差別』という視点」という小論文にある。 『・・・性差別主義と人種主義が一人の女性にとってはどちらも切実な現実であるということをどう考えればよいのか。そのときの手がかりとなるのが「複合差別」という概念だ。「女性であり、マイノリティであることの二重の差別」といった表現はずっと以前から使われてきた。しかし、複合差別とは、単に異なる差別が複数存在することを指すのではない。また、単に各々の集団の中に差別的関係性(例えば黒人男性の性差別)が含まれていることを指すのではない。そうではなく、いろいろな違った根拠(性、民族、「障害」など)をもつ差別が互いに複雑に絡みあい、上野千鶴子(東京大学教授)の表現を借りれば「複数の差別が、それを成り立たせる複数の文脈のなかでねじれたり、葛藤したり、ひとつの差別が他の差別を強化したり、補償したり、という複雑な関係にある」と捉えるのだ』

 何度読んでもピンとこない。単一だろうが複合だろうが「差別される存在」という客体として自己を語っていいのかという最大級の?が消えないのだ。

関係性という文脈

 「複合差別」という視点は、女性だからといってマイノリティだからといって一様ではないという提起でもある。また自己を客観的に見つめられる側面ももつ。だけどあえて「複合差別」として提起する必要性はあるのか。

哀しみや痛みに序列なんかない。関係性の中で差別は派生していく。差別や不条理といった体験を、とりあえず受け止めるのはたった一人の「私」だ。差別というものは他者から「私」という人格への攻撃である。その瞬間の「私」は「私」でしかない。むしろ加害側の攻撃の選択肢は多重にある。「複合差別」という視点は、差別する側にある問題をぼやかし、あいまいにしかねない。単一の固定されたアイディンティティを前提とした「複合差別」の視点には関係性が孕まれていないように思う。

 フェミニズム思想は人間観そのものを問う。少なくとも私はそう理解している。「自己」や「他者」を認識するとき「女」か「男」かを無意識に前提としがちだ。生物学的性差はグラデーション(濃淡)で存在するにもかかわらず、文化的性差はきっちり区分けをされている。かつて日本列島には、シャーマンの役割を担った「持(じ)しゃ」と呼ばれる「男子が女の風をしたもの」がいた。「最高の性愛は男同士の性愛」とされた時代もあった。それに比して、現代の私たちは「女」や「男」、「異性愛」、「こうあるべき」という規範にどれだけかんじがらめになっていることか。

 多様性/インクルージョンを実践に織り込むためには、自身の人間観を関係性の中で豊かにしていくことからしか始まらないのだろうか。みんなで一緒に考えながら、話し合っていければと思う。
ところで5月31日、早朝6時半、民放テレビを見ながら朝食を取っていたら、Jアラート画面が現れた。AIの気味の悪いトーンで警戒が呼びかけられ、よけいに気持ち悪くなった。ウクライナの日常もよぎり、ちょっと過覚醒になる。そうしたら、アナウンサーが「警戒地域の人は建物の中か地下に移動してください。地下街か地下鉄へ移動してください」と語りかけてきた。「うん?? 沖縄県のどこに地下街が、地下鉄が、ありましたか??」と突っ込む私。大都市にあるものが日本列島すべてにあるわけではない。このアナウンサーにも放送局にも多様性は織り込まれていなかった。

※ この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。