よみがえった魔女たち?
夏になると思い出す記憶がある。50年も前のことなのでまったく曖昧な光景なのだが、多分なかなかの衝撃だったのだろう。おぼろげな映像がときどきフワッと上がってくる。
母に連れられて訪れたどこかの田舎に大勢の女達が集まっていた。到着した時に子どもだった私は珍しかったのか歓迎され、女達はそれぞれに集まっておしゃべりをしたりゆったりとしていた。「からだ」のこと、「性」や「保育」「仕事」のことなど話していたように思う。私と弟は、初めての女性に連れられて会場の近くの用水路脇を散歩したようにと思う。
少し後になって、その”魔女たちの集会”は集まりは『リブ合宿』という名前で、日本で初めて全国の女達が長野県に集まったものだったと知った。資料を調べると1971年のことなので私は小学校高学年。もう少し覚えていても良さそうだが、年月も立ち詳しくは覚えていないのだが、事務局になっていた部屋の雑然とした光景も記憶にある。
そこでは身体のこともテーマにしていて、東洋医学的なからだの考え方や『手当て』、鍼灸などの経験を分かちあっていた。ヨガや助産の話もあったのではないか。私(おんな)のからだを私に取戻す、男性医師による西洋医学の原因と症状の解決という思想ではなく、心身の全体の調和や調整は、私の体に尋ね自分で手当てしよう、と。心地よく穏やかに幸せに暮らす工夫は昔々から女達が暮らしの中で見つけ受けついできた知恵の分かち合いだった。医療の近代化、西洋化によって役に立たない民間療法と蔑まれていたことは言わずもがな。
女の身体にまつわることはフェミニストカウンセリングでも大切なテーマ。私たちのからだはどう見られ、どう扱われ、どう生きづらさになり、生きづらさを表現してきたか。西洋からの男性のつくりだしてきたカウンセリングでは扱わなかった、この私の身体への、身体からのアプローチに初期から取り組んできた。
さて、最近、心理療法にたくさんのカタカナがあふれている。マインドフルネス、ポリヴェーガル、ソマティック…。脳科学や神経生理学的な説明がされなるほどと納得。でもちょっとまって、何か既視感が。自分の身体に聴きながら、ヨガや身体をいたわる知恵や工夫でからだのこわばりをとり、自分で自分をいたわり『手当て』する。”ウーマンリブ”と呼ばれ”特別”で”こわい”おんな達の試みはやっぱり効き目があったんだ、と不思議な思いでカタカナのタイトルのついた本を読む。”魔女”の復活にカンパイ!
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。