「朝のすれ違い」
職場の近くに保育園がある。保育園を通り過ぎたところが職場だから、保育園に連れていく何組かの親子連れとすれ違う。そんな中にベビーカーを小走りに押していく母親がいた。
毎日精一杯やっていることが小走りから伝わってくる。お子さんは二人いて、下の弟はベビーカーに乗っている。ベビーカーとお母さんに遅れないように上のお姉ちゃんは健気にいつも走っている。大人が小走りだから、子どもは駆け足だ。そして、上のお姉ちゃんと私はなぜか目が合うのだ。すれ違う時「おはよ!」と声に出さずに口を動かす。お姉ちゃんは笑いもせず、かといって無視もせず目が合って、ただ、すれ違う。ほとんど同じ時間に子どもを連れて家を出るということは本当に大変だろう。私は心の中で、お母さん、がんばって〜、お姉ちゃんもがんばれ〜、弟くん、行ってらっしゃい!と声をかける。
いつしか、ベビーカーだけになった。あーお姉ちゃんは保育園を卒業したんだなとわかる。「小1の壁」、大丈夫だろうか。そのうち弟くんがベビーカーを卒業してお母さんと駆け足になった。そして、つい先日は小走りをするお母さんだけを見かけた(子どもが一緒じゃなくても、彼女は走ってた!)。ああ、こうして子どもは育っていくんだなあ。
その昔、一人で子育てしていたころは、もっと子どものペースを考えるべきだとか、何でもっと余裕をもって接してあげないのだろうとけっこう自分を責めていた。何で私だけこんなに大変なの?と腹を立てていた。子どもが大きくなるのはあっという間だよと言われてもそんな風には全然思えなかった。そしていまでも時々、ああ、十分なことをしてあげられなかったと後悔するときがある。役割の内面化は本当に根深い。世の中もなかなか変わっていかない。
全然回りが見えていなくて、私は気づかなかったけれどもひょっとしたら誰かががんばれ〜と言ってくれていたかもしれない。小走りのお母さんは私。今の私がそのころの自分自身に声をかけてあげていたのかなとちょっと思ったりしている。