「政治が向ける被災地への眼差しとは」

 今日で能登半島地震から5か月が経過した。特に輪島市や珠洲市など奥能登の地域では高齢化や過疎化が進み、人手が足らず、十分な支援が行き届いていないと聞く。珠洲市にはかつて原発建設計画があったが、住民の反対運動などにより、2003年に電力会社が計画を凍結した。もし原発が建設されていたらと考えると背筋が凍る。
 昨今、災害は頻発し、いつどこで誰が被災してもおかしくない状況にある。防災・減災への意識も高まる中、国が被災地に向ける眼差しはどのようなものだろうか。
 元日の発災から、岸田首相が現地入りしたのは13日後の1月14日。世界の首相たちが自国で災害が起きた時に現地入りしたタイミングを見てみよう。2011年2月NZクライストチャーチの地震、当日。2016年2月台湾南部地震、当日。2021年4月インドネシアでのサイクロン、4日後。2021年フィリピンで起きたスーパー台風、3日後。2023年2月トルコ大地震、2日後。2023年5月イタリア北部の洪水、4日後。2週間近く被災地訪問をしない例を見つけるのはなかなか難しい。
 珠洲市で自衛隊の炊き出しが初めて行われたのは、発災から5日後の1月6日。提供数は、わずか100食のみ。避難所や在宅避難者に必要な食事は一食で2500食だが、発災から2か月後の自衛隊の炊き出し、給食数は1460食。圧倒的に食糧支援も不足している。不足している食事を提供しているのは、NGO、NPO、ボランティアである。政府は、プッシュ型支援をうたいながら、民間や自治体、支援者の善意に甘え、被災地の実態を把握する気も、本気で救う気もない。珠洲市では現在もほぼ全域で水道が断水し、飲み水ですら不足している。生活のすべての場面で水を使用出来なければ当たり前の生活なんて送れない。高齢者ですら給水場に通い、毎日20キロの水を運ばなければならない。腕や腰を痛め、復旧が見えない日々に疲弊し、絶望し、生きる努力としての給水作業をあきらめる人たちもいると聞く。自宅のトイレが使えず、毎回15分かけて施設のトイレに行くのは大変と水分や食事量を減らす高齢者もいる。
 災害救助法による衣類や布団、生活必需品などへの支援金給付の額は、全壊となった家屋で一人世帯当たり19200円、半壊で6300円。当面の生活支援に充てるにしても、あまりにもショボすぎる。被害者生活再建支援法で、家屋の再建のために支給される支援金の額は、全壊で最大300万円、大規模半壊で250万円、中規模半壊で100万円(いずれも加算された場合なので基礎額はもっと低い)。家屋の修繕が必要でも半壊、一部損壊は支援なし。しかもこれらの支援は発災直後に限られ、半年も経過した被災地は切り捨てられるという現実がある。昨年7月に起きた秋田の豪雨災害でも、床が浸水しても支援を受けられず、やむを得ず住宅の2階で生活を続ける人がいまだにいる。国からの支援が足りないために住宅再建をあきらめて地域を離れる人、損壊した家で凍えながら生活する人々。いったん災害が起こり被災地となると、生活再建どころか生きることすら危うくなるのが今の日本の現実である。
 岸田政権下で起きた災害は11件。そのうち激甚災害指定となったものは9件。
「被災者の皆様が一日も早く元の生活を取り戻せるよう先頭に立つ」「コミュニティを守る」「被災者に寄り添い出来ることはすべてやる」いずれも首相の被災地支援に向けた意気込みである。しかしどうだろう。このままではコミュニティは壊され、生活再建のメドは立たず、生きる希望すら見いだせないまま被災者の声は忘れ去られていく。必ずやってくると言われている首都直下型地震、南海トラフ地震。その時絶望するのは、あなたであり、私かも知れない。政治は自分事。この国に生きる人々の命や暮らしを守るつもりのない政権にこれ以上権力を持たせるのは本気でやめよう。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。