あっちでも、こっちでも…

前回の巻頭言では、コロナワクチン接種のことを書いた。その時は、3回目の接種が必要になるとは思ってもいなかったが、今は、「3回目(の接種が)終わった?」という言葉をよく聞くようになった。それだけ、新型コロナウイルスの感染拡大や予防が、私たちの生活に浸透してきているのだろう。

先週末のある日の夕刻に、知人の職場で感染した人があり、知人が濃厚接触者かもという連絡があった。私は、知人とその週に会っていた。その夜、知人の職場では感染している人が増え、知人は濃厚接触者だという連絡を受けた。ただし、この時点では最初の感染者以外は「推定」だ。なぜ推定なのかというと、週末だったからか、PCR検査を受けられるところがなく、何らかの症状がある人を「感染者」と考えるしかなかったからだ。つまり、私が会った知人は、「濃厚接触者」なのか「無症状の感染者」なのかはまったくわからず、私は自分が「濃厚接触者」なのか「濃厚接触者の濃厚接触者」なのかわからない状況に陥った。しょうがないと思うしかないのか…?とは思ったけれど、「しょうがない」。とりあえず、私にできることは「できるだけ自分の部屋に閉じこもること」と思った。

知人と会った日から6日めに、抗原検査をしたところ陰性だった。やれやれ…終わった…。そのタイミングでワクチン接種券が届いた。比較的近くでの場所で、少し先になるけれど予約をした。予約完了メールを受け取った時に電話がなった。先週末に私がいた場所で感染した人がいて、私にもPCR検査を受けてほしいという連絡だった。今度はこっち!! という状況だが、「しょうがない」。検査の結果は、早くて週末になるそうだ。今度は、私が「濃厚接触者」なのか「無症状の感染者」なのかわからない状況だ。私は思った、「しょうがない」と。

この数日間で、何度も「しょうがない」と思った私だが、今振り返ると、全部の「しょうがない」は、本当にしょうがないのか? 何か間違ってない?とも思う。知人の職場や私がいた場所で感染した人がいるのは、誰の責任でもないし、これだけ感染が拡大している状況では、どうしようもないことだと思う。でも、必要なPCR検査を受けられなかったり、検査結果を受け取るのに4日以上かかったりすることを「しょうがない」ではすませてはいけないことだと思う。経済活動が大切なのはわかる。「with コロナ」の時

代なのもわかる。でも、それならば、自分の状態、状況が迅速にわかる体制を土台にするべきだと思う。「私が誰かを感染させる状態ではないこと」を知るのは、私が安心して生活することにつながる。今、私の安心を脅かしているのは新型コロナウイルスではなく、この国の新型コロナウイルス対応だ。「しょうがない」ですまさずに、「どうにかしてよ!」の声を上げ続けるしかないのだろう。この声が誰かの声とつながり、私たちの安心が守られるようになっていきますように。

そうして、私以上に「しようがない」と「どうにかしてよ!」のはざまの中で、新型コロナウイルスへの対応や、治療に従事している方々には、感謝しかない。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。