10月15日のぱたぱた日記

東日本大震災と福島第一原発事故から10年が過ぎた。内閣府は、「東日本大震災における女性の悩み・暴力相談事業」を2011年から被災地である岩手、宮城で始め、翌年2月からは福島でも「女性のための電話相談ふくしま」が開始された。相談経験のない地元相談員のもとにFC学会からの派遣で多くのカウンセラーが応援相談にかけつけてくれた。その応援派遣も予算が縮小される中で年を追うごとに回数が減り、2018年度からは完全になくなった。途端に予算の縮小を理由に、地元相談員の謝金はほぼ半額に減らされた。それでも辞めるものはいなかった。これまでの経験を無駄にしてはいけない、まだまだ被災地の女性にとって必要な相談窓口であることを訴えるため、県に事業継続の要望書を出し続けた。震災と原発事故から10年の節目を迎えた2020年度をもって内閣府の事業は終了となったが、今年度からは復興予算を充てた福島県の新規事業として相談事業は継続することが決まった。相談員の謝金は何として守りたい。どんなに予算を減らされようとも。10年間で投入された国の復興予算は、32兆円にのぼるがそのうち数千億円は使いきれず、2021年〜2025年度予算に回されたという。

日々寄せられる相談の中で、震災と原発事故について口にする人はほとんどいないし、あえて尋ねることももはや不自然にすら思える。震災に直結した相談件数が少ないと被災者支援事業として必要なのかと指摘されることもあった。今年2月に発生したマグニチュード7.3の福島県沖地震。当時の記憶が全身を駆け抜けた。呼吸は乱れ、何も手につかない。地震の恐怖の中、あの当時何度も目にした原子力発電所の爆発映像が浮かんだ。とても怖かった。数日たつと震災当時の恐怖をポツリポツリと口にする相談者が増えた。「あの時のことを思い出してしまい眠れない」「10年前の震災でもろくなっていた外壁がついに崩れてしまった」「今回はライフラインが途絶えないだけマシだった」「コロナに対する家族との意見の食い違いも震災当時を思い出して辛い」「やっとの思いで手に入れた暮らしがまた崩れてしまうのではないかと不安で仕方ない」地震に限らず、ふとした出来事が当時の記憶を蘇らせ心をざわつかせる。避難したかどうかに関わらず、被災地の人々は経験したことのない恐怖や怒りを長い間味わってきた。誰もがそれを抱えながら今日まで生き延びてきたということを改めて思った。

相談開始当初、県外避難を余儀なくされた相談者はぶつける先のない怒りを相談員に向けた。何か質問するたびに「お前は東電の回し者か?」「そんな質問何の役に立つわけ?」相談員の間ではよく知られた相談者で、出来れば当たりたくないと思っていた。それでも繰り返し聴いているうちに彼女の抱える怒りも悔しさも当然だと感じるようになった。2年、3年と経過する中で相談の回数は少なくなっていったが、年の瀬には「まだやってたんだね」とからかうような、ホッとしたような口調で電話をしてきた。暮らしていた地元は二度と戻ることの出来ない地区だった。自分でつけたニックネームは避難の時に置いてきた犬の名前だと教えてくれた。数年たって、悩んだ末に子どもや孫達の住む福島県内に戻ることを決めた相談者が言った。「あなた達がいたから死なずに済んだ」彼女はこれから避難した過去を誰かに語ることはあるのだろうか。心のうちにそっとしまいこんで生きていくのだろうか。また懐かしい声を聞かせてほしい。

被災地の心の復興とは、被災を忘れ去ることではない。トラウマを抱えながら生きていくこの地に、いつでも安心して日々の悩みや不安を語れる場所があるということ。被災地のトラウマを理解し、それごと包み込む社会を創ることに復興のための予算を大きくつぎ込んで欲しいと心の底から願う。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。