沖縄の性被害事件に怒りを
昨年12月、沖縄県で起きた16才少女に対するわいせつ目的誘拐と不同意性交事件の公判が那覇地裁で開かれている。第1回公判では加害米兵は、罪状認否で無罪を主張。事件性を否認した。第2回公判ではより心理的安全性の高い別室からのビデオリンク方式は取られず、加害者とおなじ空間に座る遮蔽方式で長時間、被害少女への尋問が続いた。このことは大変大きな問題であると言わざるを得ない。
沖縄という地で、絶対的権力差のある米軍兵士である加害者の部屋に連れ込まれ、不同意に性交を強要されたという最も過酷な暴力の記憶を、詳細に長時間にわたり、加害者もいる中で、時に批判的に、権力を振るう大人たちによって、強制的に蘇えさせられ、語らせられる。こう考えるだけで、どれほど熾烈な二次受傷となるか。この経験に立ち向かおうと決意し耐えている少女の、怒りと勇気はいかばかりか想像に難くない。私はこの少女を尊敬する。それにもかかわらず、第3回公判では加害者の米兵は同意であったと否認を貫いている。
この事件は被害者が警察に届け出たにもかかわらず、米兵の起こした事件として国から県に報告されるまでに長くかかり、事件の隠ぺいが取り沙汰された。その間にも別の事件が発生した。繰り返される米兵による性犯罪。一人の女性の人生を苦難のどん底に突き落とし、消えることない痛みを刻みつける行為。それだけではなく、自国の少女の被害を無かったことにしようとした日本という国は、何を護ろうとしたのかと疑われても仕方が無い。
米軍占領下の1955年、当時5才の少女が拉致誘拐され、性的暴行の後殺害されたという『由美子ちゃん事件』を代表とし、無数の米兵による性加害事件が繰り返されて来た。日米地位協定という実質的な占領状態を担保した上で、人を殺す訓練を受けた男達が街を闊歩しているのが『沖縄』である。
小学生の頃、名画座のような小劇場で沖縄の映画を観た記憶がある。複数の沖縄の米兵がサトウキビ畑の中を逃げる少女を陵辱するという白黒の映像場面が衝撃的で、今でも沖縄の事件と聞くと反射的に思い出す。観てはいけない映画を観ているという底知れぬ恐怖を感じていたことを覚えている。
一方で、「沖縄に基地が集中しているから、兵士が暮らしているから被害がある」ということにはしたくない。軍隊、占領、男性という権力が、スリルと支配の快感を得るための道具として、ひとりの少女の尊厳を踏みにじることを単なるゲームのようにしてしまう。このような暴力が全てなくなることが安全に安心して暮らせることであり、私たちと地続きの問題である。私も、私の怒りを持ち続ける。
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。