今、伝えておきたいこと

あけましておめでとうございます。

新年を迎えて昨年一年を振り返った時、それにしても何という年だったのかと思わざるをえない。変わらない日常の感覚が揺らぐ、空気が一変する出来事は、ロシアのウクライナ侵攻と、安倍元総理の銃撃事件である。あまりに月並みで、まるで年末の重大事件ランキングのようで笑ってしまうが、それが一番正直なところだ。

とりわけ銃撃事件直後から出てきた様々な情報は、まるでシャンパンのコルクが吹っ飛んだかのようである。あふれ出てきたこの国の実情は、私にとって古い記憶とともに、当時の気持ちがそのままによみがえるものだった。なぜ日本ではジェンダー平等がこれほど進まなかったのか、ということである。2000年代の初めに起きたジェンダーバックラッシュは、私たちの活動にも大きく影を落として、それは現在まで続いている。目の前のことに追われて忙しく過ごし、過去のことのように置いてきたものを、改めて語ることが必要だと、今は感じている。なぜ語ってこなかったのだろうか。それは決して忙しいだけではなくて、女性をエンパワメントするジェンダー課題が、日本では極政治的なものであり、時に激しい攻撃を受けるものでもあると、女性たちに伝えることに私は躊躇してきたような気がする。さらにリベラルな男性たちも含めて、今回報道されて初めて知ったという人がほとんどで、当時はまともに報道もされていない。わかっている人、現場にいる人たちだけが孤軍奮闘した、ひりひりするような記憶として、私のなかには「あの頃」がある。

1990年代後半まで、日本は他の先進国と足並みをそろえ、男女平等や人権に配慮する方向に大きく舵を切った。DV、セクハラ、児童虐待、ストーカー行為など、身近な人間関係のなかの暴力や人権侵害が法整備され、今に続く被害者救済の資源が作られたのもこの頃である。1999年には、国連女性差別撤廃条約の国内法として、ようやく男女共同参画社会基本法が整備されている。ジェンダー平等に向かう国際的な流れと、日本型の男性稼ぎ主モデルでは経済的に立ち行かないところから、経済界もその方向に動いた。そして、何より営々と続いてきた女性たちの運動がようやく国を動かして、ジェンダー主流化へと向かう流れがあって、それに一部の宗教右派の強硬な反対派が危機感を持ったことが背景である。

当時は日本会議などの宗教右派がバックラッシュの中心であり、統一教会が少し遅く、2002年頃に参入していたことを、私は今回の報道で初めて知った。政治家への強い影響を持つ統一教会は、現在も「家庭教育支援条例」設置などの活動を展開しており、すでに条例のある自治体では、家族をめぐってこうした内容の施策が実施されている。そのことにも私は全く気づいていなかった。改めて、徳島県の施策のパンフレットを見てみてみると、ジェンダー視点は全くなく、家庭(母親)に子育ての責任を押しつけ、伝統的な家族へのノスタルジー漂う、なんとも気持ち悪いものだった。皆さんもぜひ、ご自身の住んでいる自治体をチェックしていただきたい。

1990年代から歴史修正主義の動きが大きくなり、「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」などをめぐり歴史教科書を検閲する動きが起きていた。1997年に日本会議が結成され、教科書問題が一段落したあと、次なる運動として、男女共同参画や性教育などがターゲットとされ、ジェンダーバックラッシュの嵐が吹き荒れた。それに先立つ1996年には「選択的夫婦別性制度」の導入が検討されたが、それも反対によって今に至るまで実現していない。

ここからは私が身近に見聞きしたことを、そのままお伝えしたい。

1996年、「選択的夫婦別姓制度導入に反対する意見書」が、全国で初めて徳島県議会で採択された。法制審議会から法案が出されており、後一歩で成立するような時期である。徳島で女性の運動にかかわってきた人たちがすぐさま集まって、「選択的夫婦別姓制度に賛成する徳島県民の会」が結成されたが、その後は同じような動きが全国に拡がっている。

2005年は年頭から大きな動きが相次いだ。県議会に提出された男女共同参画プランが否決され、徳島市議会と徳島県議会で男女共同参画施策を問いただし、反対する発言が相次いだ。さらに県議会では「真の(男らしさ女らしさを重要視する)男女共同参画社会をすすめる決議」が採択されている。秋には、県議会本会議でさらに執拗なバッシング発言が繰り返され、その後、全国初となる「男女共同参画社会基本法の改廃を求める意見書」が採択されるかも知れないという情報が漏れ聞こえてきた。女性たちがすぐに全国発信して動いて、県議会が混乱するほどの抗議のファックスが届き、これについては回避することができた。しかしこの動きも、その後は全国に広がった。

男女共同参画は法に基づいた施策であるが、そうであるがゆえに議員の動きや発言に大きく影響を受けざるをえない。特に地方議会では、声の大きな強面の議員が幅を効かすことになる。誰を講師に呼ぶのか、どんな内容の発言をするのかなど、右派議員が参画課にクレームを入れるため、行政職員は委縮し、どんどん施策を後退させていった。これは全国的な動きであり、日本のなかのジェンダー平等への流れは大きく後退した。「ジェンダー」という言葉を使ってはいけない、「過激な性教育」「家族破壊の男女共同参画」とレッテルを貼って、「更衣室が男女一緒になる」、「ひな祭りなどの伝統行事ができなくなる」「男もスカートをはくようになる」など、荒唐無稽なデマが堂々と議会で発言されることが続いて、進み始めていた男女共同参画はここで大きくブレーキを踏むこととなった。自民党のなかに「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が作られ、国の基本計画や男女共同施策に介入することから、やっと進み始めたジェンダー平等の流れはここからさらに逆行することとなった。

その後の私の実感としては、すべてのひとにかかわる男女平等への啓発などは鳴りをひそめ、セクシュアル・ハラスメントとDVが男女共同参画の中心課題となって、ジェンダー論は大学で学ぶ学問へと囲い込まれたように感じる。安倍政権が続く間中、ジェンダー平等は進まず、他の国が先に進んだため日本は取り残されたのである。多くの国がジェンダー平等に舵を切ったのは、経済をはじめ少子化などの社会全体の行き詰まりを解決するための極めてクールな選択でもある。宗教右派や統一教会などに影響され続けて、足踏みをし続けた日本は、これからどこへ向かうのだろうか。こうしてすべての流れが明らかになった今、ここでまっすぐに立ち向かうことがますます重要ではないかと考えている。コロナ禍でさらに女性たちは限界だと感じており、その構造が明らかになった今、もっともっと怒っていい。

もうひとつ、一連の報道のなかで私が強く感じたことがある。統一教会に多くの献金をした女性たちもまた、私たちと同じ時代に同じ国に生きてきた、という紛れもない事実である。家族など身近な世界のなかで、どうしようもない絶望や孤独を抱えた女性たちが、宗教に救いを求めたのだと思う。私はフェミニズムやフェミニストカウンセリングに出会ったけれど、まだ出会えていない、本当は必要かも知れない人がたくさんいたのだろう。「この国の女性に起きた問題」なのだと考えた時、ああ何もできなかったと、少し切ない気持ちになる。

「ひりひりする記憶」を書き始めたつもりだったが、改めて振り返った時に、すべてのことが整理されて辻褄があう、不思議な爽やかさがある。そしてあの頃、女性たちと一緒に夢中で走り回ったことがとても懐かしく思い出される。決して一人ではなかったし、同じ思いを強く持つ、仲間たちを実感したのもその時だった。地方の街の濃密な女性ネットワークは、そこから後の私の活動にとって、かけがえのないものである。

さて、またやっていきましょう。
これからも女性同士がつながって、私たちが本当に願うよう少しでも変えていけるように。

今伝えておきたいと思ったことを書いて、メルマガの巻頭言とさせていただきました。
色々なことが起きる激動の今を、皆さんと一緒にまた歩んでいきたいと思っています。
また本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

※ この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。