1000年に一度の大震災だったはずなのに・・・

今年の3月はやけに長く感じた。3.11から11年目となった今年は当時の避難所での支援について取材依頼が次々に入り、あの時の記憶を呼び戻しては語る、という日が続いていた。そして迎えた3.11。朝からそわそわと気持ちは落ち着かず、ふとした瞬間に泣き出してしまいそうな気がした。

それから5日後、またしてもやってきた。グラグラっとした揺れがおさまった直後、ゴオオオ・・・という地鳴りがして直感的に「あ、これはダメなやつだ」と思った。急いで息子と分厚いマットレスの下に潜り込んだ。揺れは大きく長く、マットレスの重さも加わり心臓はバクバク、呼吸はハアハア、身体は固まり何も出来ない。「ああ、どうしよう、どうしよう」とつぶやく私に、怒ったように「俺が一緒にいるから!俺がついてるって言ってるでしょう!」と叫ぶ息子。

やっと揺れがおさまり部屋を見渡すと、家具は移動し、高い場所からはほとんど物が落ちていてがっくり。「こんなのどうってことないよ!何てことないんだ!」と再び気合いを入れられ、とりあえず割れ物だけでもとキッチンで片付けを始めた。まだ恐怖で心臓はバクバク、手は小刻みに震え本当は泣きそうだったけれど出来るだけ平静を保つようにしたつもり。

2011年に生まれた息子に当時の記憶はなく、昨年の福島県沖地震が人生で初めての大きな地震だった。あの時、私が思いっきりパニックになって怖がらせちゃったからな〜。そんな事を考えていたら「あれ?何でかな?おかしいな。震えが止まらないよ」とつぶやくのが聞こえた。見ると息子が、困った様な顔をして手をグ—にしたままブルブル、ガタガタと震えている。その様子はかなりショックだった。「しまった!ごめん!またやっちゃった」そう思い、駆け寄って抱きしめると「ワアアアア」と大きな声で泣き出した。そして私も一緒に泣いた。

その日の出来事は、何日経っても心の下の方に重く沈んでいた。後日、地震の被害を心配してくれたある方に、その日の出来事と「何も出来ず不甲斐なかった」という正直な私の気持ちを話してみたところ、こんな風に教えてくれた。

揺れの恐怖で身体が固まる⇒身を守るためで当たり前
ブルブル震える⇒身体の中で固まったエネルギーを放出するから
安心できる人と一緒に泣く⇒トラウマを解放する大切なプロセスだと。

違う景色が見えた気がした。

1000年に一度と言われた災害が、明日にもまたやってくるかも知れない。トラウマが雪だるまの様に大きくなって心の中で固まってしまわぬよう私と息子の中にあるトラウマを解放してあげなきゃ、と納得して安心したらまた涙が溢れた。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。